■古風な魔女に勝ち目はない。

初めてやったゲームはSFCスーパーマリオワールドだった。当時、友達間でファミコンを持っていなかったのは僕ぐらいだったので、早速周囲に「スーパーファミコン買ったよ」と自慢げに話していた。それまでは外でサッカーや鬼ごっこ等の遊びをしていたのが、一転してインドアになった。一週間くらいは僕の家でマリオを大量生産していたのが、徐々に人数が減り始めていった。どうやら、友達の一人がスーパーファミコンを買ったらしい。すると他の友達も感化されたのか、次々に同じものを手に入れていった。やがて、僕の家は閑古鳥になる。ひとりでマリオを操りクッパを倒しに行くものの、幼い頃の僕は寂しがりやの感があったので、学校の帰り道で、今日遊ぼうよと誘ってみた。公園には、いつものメンバーがいた。みんな、やっぱり外で遊ぶのは好きなのだ。
スーファミが出たのは僕が幼稚園から小学校に上がろうとしていた頃で、たいそうな話題になっていた。ニュースで大々的に報じられていた映像が(もっとも、どの番組なのかはわからないが)はっきり、鮮明に思い出せる。
ところで僕には姉がいるのだが、この姉とマリオをやると必ずけんかになった。原因はよくは思い出せないが、些細なことだろう。これが親にばれた時、怒られるには怒られるのだが、きつく叱られるのは姉の方だった。今思うに、姉がちょっと神経質になったり怒りっぽくなったのは、これが原因かもしれない。姉にはよくパシりをさせられたが、口では反抗的に言うものの、やらなかったことはなかった。僕の脳には「姉には逆らえない」という項目が本能レベルで刻みつけられているらしく、力でも口でも勝てるようになった今になってもそれは続いている。くたばれマイシスターと心で思うも口には出せないのは我ながら情けない。
閑話休題
外と中を交互にするようになって数年、僕は小学校5年生になっていた。ゲームの数も十数個に増えた。ドラゴンクエスト6が出たのは、その5年生の冬の時だった。ニュースで報道されるほどの人気っぷりだった。それがメーカーの宣伝のための誇張だったとしても、当時の僕は焦って、手に入れようとする。実はこの時、母にセガサターンを買う約束をとりつけていて、このニュースを見るまではそのつもりだった。
セガサターンドラクエ6に化けた。すぐに友達の間で、やれムドーだのやれ転職だの、話題になる。僕は乗り遅れまいと、毎日プレイし続けた。(とは言っても、一日二時間と決められていたのだが)
中学校に上がると、プレイステーションが登場する。最初に買ったソフトは、友達の家でセガサターン版をやった人生ゲーム。周りがアークザラッドについて話す中、僕はルーレットを回していた。人生ゲームにも飽きた頃にファイナルファンタジー7の名前を聞いた。発売日に小遣いをはたいて入手した。財布の中身が氷河期に突入したが、そんなことはどうでもいいと、家路を急いだ。早速プレイしようと電源を付ける。そこで目にする「メモリーカード」の文字列。失念していたと言うよりも、そこで初めてメモリーカードの存在を知ることとなる。RPGでセーブができないのは致命的と言うよりも即死的。親に頭を下げて、1500円を借りた。走った。買った。差し込んだ。セーブした。安堵した。
中学2年になると同時に学校が変わった。近所に新しい中学校が出来、通い慣れた学校を後にして、そこに移ることになった。まあ新しいとは言っても、クラスメイトの顔ぶれは見知った顔が多々あった。友達もいれば、知らない奴も。知らない奴らは別の中学校からこちらに通うことになっていて、若干顔見知りの傾向があった僕としては大いに緊張した。
その中の1人とつるむようになったのは何がきっかけなのかは思い出せないが、先の2年間はかなり楽しいものになった。競馬、という単語を知って、ダービースタリオンにはまったのは同時期のこと。
高校生になるとゲームに費やす時間が多少なりとも減った記憶がある。生意気にもサッカー部に属していた僕は毎日部活に精を出し、ゲームをやる気力はとてもじゃないが残っていなかった。もっとも、頑張りはしたものの、結局レギュラーになれたのは1年生も終わる頃だったが。やっぱり才能は大事だよね、うん。めるぽ
FF8スクウェア不信に陥っていた僕はDQ7が出たことを知り、親に金を渡して買い物ついでに買ってきてもらうことにした。親が手に入れてきたのはFF9だった。まあいっか。思えばこの頃から、退廃的な嗜好が芽生え始めていたのかもしれない。7以来のFFは原点回帰を謳った、いわゆる「クリスタルの復活」。でも僕は実のところ、FFは6と7と9しかプレイしていないので、原点もなにもわからずにプレイした。プレイヤーの評価は酷なものが多かったが、僕は面白かったと感想を述べる。その後に友達からDQ7を借りるのだが、正直、FF9の方が面白かったと思う。DQももう駄目かな、と当時は考えていた。
でも、たとえ駄目だとわかっていても、DQとFFを買ってプレイしてしまう人は多いのではなかろうか。僕もそのうちの1人である。その原因はスーファミにある。
プレイステーションに移項してからの両者の内容は思い出せない事柄の方が多い。しかしスーファミの場合は、これがない。事細かく思い出せる。それはやはりインパクトの違いではなかろうか。子供の頃はゲームというものがまだ身近ではなく、珍しいものとして認識されていた。だからいざそれをやるとなったら、スポンジのように吸収していくのだろう。
しかし例外と呼べるゲームがプレイステーションにもあった。「ワイルドアームズ」だ。
これは中学校3年に上がる頃、友達の1人が学校に持ってきたのを見せてもらって、そのまま貸してもらったもの。プレイ前はケース裏などを見て、「ちょっと雑だなあ」と思っていたものの、それはプレイ後にあっさりと覆されることになる。確かにグラフィックや戦闘の描写は稚拙な作りだが、それを差し引いてもあまりあるストーリーとイベントシーンの作り込みがあったからである。ワイルドアームズをプレイする前はストーリーというものに重きを置いてなく、戦闘やテンポを重視していた。FF7はストーリー重視の作りだったにも関わらず、当時の僕はそれを見ていなかった。「ナイツオブラウンドすげー」とグラフィックにばっかり目がいっていたことが悔やまれる。話を戻すが、ワイルドアームズは言葉通り「衝撃的」だった。なんの接点もないような3人が知り合い、戦って、世界を守る。言葉にすれば簡単だけど、そこに行き着くまでの経緯が秀逸だった。後にワイルドアームズは「ワイルドアームズ ALTER CODE:F」としてPS2でリメイクされることになるが、これもまた名作だった。特に僕がショックを受けたのは、主人公の1人・ロディが仲間達を救うために自分の腕を切り落とすシーンだった。腕に鎖を巻き付けられ、このままでは3人とも道連れにされてしまう。ロディは迷いもなく自分の腕を持っていた剣で切り落とす。中学生の僕はこれを見た瞬間固まった。視線も視点も、体も指先も、すべてが固まった。腕を切り落とすという描写は今までになかったものだった。そして続く場面で更に固まる。切断面を見て、ロディは自分が人間ではなかったことを知り、心を閉ざす。おいおいおいおいそこでそうきますか。今の自分が、初めてこれを見たと仮定したら、きっとこう思うだろう。昔の自分はまだかわいげがあったので、それからしばらくワイルドアームズができなかった。(1週間くらいしてからようやく再開した)
PS2ではこの描写がCG動画で描かれていて、自らの武器(ARMと呼ばれる古代兵器で、銃と同じ形をしている)で腕を吹っ飛ばすシーンをまじまじと見ることが出来る。そのシーン直前でセーブする自分はどうかと思った。たすけてえーりん
最近は空いている時間があればやるといったスタイルでゲームをプレイしている。主にやっているのはDQ8To Heart2、大往生にエスプガルーダ。友人SにKanonを半ば強制的に渡され、PCを購入したばかりの我が家でなんだろうと思いプレイしてショックを受けたのもインパクトが強かったので今でも思い出せる。それはもう克明に。おのれー。まあそこから自分の意志でAIRとかやってたから駄目駄目なんですけどねぐへへ。もーおーもーどれーなーいー。
最近のゲームはシステムやグラフィック等に力を入れていて、実際それはいいことである。ゲームをやるにあたり、それらは第一印象として強力な武器になるからだ。バイオハザードは典型だと思う。ストーリーはともかく、その表現方法や、極限状態におけるスリル。斬新だった。映画にまでなるとは、その時は思いもしなかった。
閑話休題その2。
最近のゲームは、たとえ何十時間やったとしても内容が思い出せないことがある。ここはどうすれば先に進めるのか、どうすれば仲間になるのか。エトセトラ。要するに「うすい」のだ。
概念が定着しきって、経済にまで影響を与えるようになって、その分、「売れるもの」が求められてくる。ゲームはぶっちゃけストーリーはありきたりなものでよくて、エフェクトが派手で、絵がきれいで、人気声優を起用すれば大抵は売れるものだと思っている。そこにメーカー名が加われば大ヒットとあいなる。(例外はもちろんあるが)
往年のゲームプレイヤーにとって、この傾向は好ましくないかもしれない。求めているのは(僕を含む)、「売れるゲーム」ではなく「面白いゲーム」であり、両者はけしてイコールではない。現にFF8は売れはしたものの、評価は低い。これはやはりスクウェアというメーカー名が大きいのだろう。(イコールになる場合もあるが)
今ではそういったひねくれた観点を持つようになって、「楽しんでやれるゲーム」に定義できるものはめっぽう少ない。昔みたいに、マリオを操って、クリボーに当たって死んだりステージをクリアするたび一喜一憂していた頃が懐かしいと思う。昔を語るようになったら老けた証拠とか誰かが言っていたので、きっと僕は老けてしまったのだろう。友達とストⅡが原因でけんかしたり、姉と一緒に人生ゲームをやってパシられたり。今ではそんなこともなくなった。良く言えば成長したことになり。悪く言えば疎遠になった。老けていくと言うことはこういうことなのかもしれない。
ある日、姉がDQ8と僕のメモリーカードを持って彼氏の家に出かけていった。借りていいかとは訊かれていたものの、本気で持っていくとは思っていなかった。仕事から帰った僕はさぞやショックだったであろうフハハハハー。んでメモリーカードをあっちに忘れてくるっていうのはケンカを売っているのか。(ビキビキ)
まあ真面目に語ってはいるものの、要するに僕はゲームが好きなのである。たぶん三十路を越えてもゲームをやめることはないだろう。心酔してるとかではなく、もはや一部分になっているのだ。でもだからといって、それのために引きこもりたいといった願望はない。うまく折り合いを付けて付き合っていきたいものである。
おまけ
■好きなゲームTOP10(コンシューマのみ)
 1:ワイルドアームズ(ALTER CODE含)
 2:ドラゴンクエスト3(リメイク含)
 3:クロノトリガーSFC版)
 4:ファイナルファンタジー6SFC版)
 5:バイオハザードシリーズ
 6:スターオーシャンシリーズ
 7:ドラゴンクエスト8
 8:ファイナルファンタジー7
 9:逆転裁判シリーズ
10:テイルズオブエターニア