■僕がクジラになりたいと言い、君がゴジラにならなれると言う。

 幼馴染という厄介な関係がもうどれぐらい続いているだろうか。
 その厄介というカテゴリの中で僕が一番に悩むのは、やはり性別の問題である。幼い頃は男とか女とか、あまりというか、まったく考えられなかったわけである。しかし小学校、中学校と経るに連れ、保健体育や雑誌、自身の身体の変化に伴い、知識は急激に付随されていく。ひどい時には「おはよー」と言われただけで、脱兎のごとく逃げてしまった。これは海より深く反省。
 こんなに悶々として苦しいなら、いっそのことクジラになりたい。時々そう考える。でもクジラは一見優雅に見えるものの、実のところそうではないような気がする。生態を詳しく調べたわけじゃないが、クジラにはクジラの苦労があるに違いない。軽々しく「羨ましい」と思ってはいけないのだ。僕は実のところ泳げないし。
 しかしクジラになれば泳げるかもしれない。あの無限に続いていそうな大海原を、潮を吹き上げ、イルカと並びつついざ出航。でもあいにく人として生まれた限りはクロールや犬かき、たまには平泳ぎをして荒波を超えていくしかない。
 ……さあ、夢を見るのは寝てる時だけにしておこう。
「どうしたの?」
 友の一声で我に帰る。
「あ、いやー、なんでもないよ」
 中学三年生になり、受験生という二つ名を背負い、僕たちは周囲の期待に押し潰される一年を生き抜かなければならない。年端もいかない子供たちにその重みは耐えがたいものである。親も教師もそれを知っている筈なのだから、棚に上げてそのまま無縁仏にせず、思い出してもらいたい。
 もっとも、推薦や近場で済ましてしまうような輩にはわからないだろうけど。
 クジラも泳ぎながら海が汚いとか魚が少なくなったとか生態系が崩れつつあるとかぼやいているのだろうか。恐るべしは外来種。でもそろそろクジラも増えすぎてて大変だとどこかで聞いた。失われし遺産(クジラの竜田揚げ)の復活の日は近いかもしれない。でも実現される確率はものすごく低いと思う。愛護団体の名を掲げる準お花畑様たちのせいで。
 何事も程よくバランスをとらなければいけないと言うのに。
「おはよー」
「!」
 俗に言う不意打ちである。かっこつけて言わなくともいいけど、とりあえず。
 こういう風に冷静たる脳内とは裏腹に手足が動―――かず。ある意味冷静な判断を下したと言えるのかもしれない。
「お、おはやう。やうやうしろくなりけり?」
「いや、訊かれても」
 そりゃーそうだ。あっはっは。一人で一頻り大笑い。対面の相手は苦笑い。ああちくしょー。可愛い顔してなんて残酷な!(自業自得だが)
 その可愛い顔した悪魔、自覚が無い悪魔、正に小悪魔。ぶっちゃけ幼馴染である。
「そ、それじゃああっしはこれにて」
「あ、うん。またね」
そののほほん声に騙される輩が何人いるのだろうか。聞いた限りでは二人ほど。僕を含めると三人になる。しかし聞いた限りなので、実際はどうかわからない。


とまぁここで帰る。気が向いたら家で続き書きます。
≡⊂二二( ^ω^)二⊃ 飛翔