■のびやかにー 健やかにー

 この長い坂道を越えたら、そこから見えるは絶景かな絶景かな。
 嫌な事があった時は自転車を漕いで駆け上がり、広がる田舎の風景に向かって「バカヤロー!」と叫ぶのだ。そのあとに小さな声で「バカヤロー」と呟くだけで、ふしぎと落ち着くのである。そんなことで解消されてしまうなんて、なんとも安っぽい。しかしそんな自分が大好きなのであった。まる。


 この長い坂道を越えたら、そこに広がるは絶景かな絶景かな。
 良い事があった時は思いっきり腕をグラインドさせて、力の限りに駆け上がり、視界めいっぱいの世界に向かって「よっしゃー!」と叫ぶのだ。そのあとに小さくガッツポーズをするだけで、じわじわと喜びが全身に染み渡っていく。よし、これで明日からも頑張れる。随分と安っぽいが、わたしはそんな自分が大好きなのであった。ぶい。


 結局わたしは、どちらにしてもこの坂道に来るのであった。ちゃんかちゃんか。



 好きだ。いいえ、わたしは好きじゃないわ。がーん。それじゃあね。
 英語の教科書から一方的な愛を告白されるも、本を閉じることで完璧な拒否を繰り出した。現実逃避とは呼びたくない。日本に引きこもる予定のわたしとしてはこーゆーのは必要ないのだ、きっと、うん。
 ただこの調子だと、前回の得点をマイナス方面に更新してしまう可能性があり、三十九点がボーダーライン。わたしは四十点で瀕死の重傷を負いながらも生き残ったのだ。しかしひどく悲しい。次こそはと意気込んだのは、×が優勢の戦場を目の当たりにした一ヶ月前。それならばと思い、この一ヶ月間で覚えた単語や文法を必死で思い返す。
 Is this Tom?
 No,This is a pen

 おーのー。
 かくも英語の教科書は狂っていた。普通、トムとペンは間違えない。

 Is this Tom?
 Yes,This is Tom

 結局、Yesにしても英語の教科書は狂気の沙汰。記憶喪失ならともかく、「こちらはトムですか?」はない。
 しかし、もしも彼とトムが初対面で、面識ある第三者が仲介をしていたのだとしたら、辻褄は合う。恐るべき英語の教科書。実際は背景を読みとり、あらゆる可能性を考える力を育成する本だったのだ。そして気付いた人物を優秀な人材と認定し、怪しげな黒服のお兄さんが迎えに来て、
 そんなわけねー!
 優秀な人材は四十点なんかとらない。果たしてわたしの広がりすぎた妄想は黒いロールスロイスに乗り、夢を探しに遥かな旅に出たのだった。そういうことにしておく。
 ああ、勉強って苦しいなあ。嫌になるなあ。
 あー、叫びてー。
 ……自転車の出動は間近かもしれない。




 中学校生活最後の大会は、地区大会三位入賞でその幕を閉じた。わたしたち三年は後輩に恵まれた。今度こそ県大会ですよ先輩と三年以上に燃え上がった一、二年生のお陰で、密度の濃い練習が出来たと思う。地区大会三位は最高記録で、今後によってはこれ以上、県大会で上位に入ることも出来るだろう。
 これからは高校受験へと没頭していくであろう自分。さて、高校に入ったとして、果たして同じ部活をやるだろうか?
 右手に握られたバスケットシューズ入れを目の前に持ってきて、歩きながら夢想する。
 ……あかん、想像できん。
 しかし想像できないからと言ってやらないのは些か問題がある。きっと頭が受験モードに切り替わっているから出来ないのだ。きっとそうだ。きっと。
 ……もやもやするなあ。




 受験番号をPASS.NUMBERにするとすっごいかっこいい。
 PASS.NUMBER488。どこかのエージェントみたいだ。薄気味悪い笑いをひとり浮かべ、やがて自分の過ちに気付く。人はそうやって成長していく。弱かった自分を踏み越えて、新しい自分に生まれ変わるのだ。
 いきなり該当する箇所を見るのは怖い。順に、目で追っていく。すでに結果は出ているのだが、やっぱり気分が大事。ああ、心臓が心臓の心臓で心臓にー。
 480、481、483、484
 これは、ひどく、
 485、486
 心と体に悪い。まったく、嫌なイベントだ。
 487
 ―――あぁ。
 488
 うわぁ。
 今、とんでもなくとんでもないものを見てしまった。受験票をもう一度見てみる。瞼を擦る。瞬きをする。瞬間、雑音が消えた。
 これは夢じゃないよねと自分で自分に質問し、自分議長が自分副議長に確認を取り、そんな一連のやり取りを想像してから、踵を返した。
 今度は、部活で鍛えた持久力と、この脚の出番のようだ。
 そして叫べ。




 つまるところ、やはりわたしはここに帰結する。

 ―――英語なんて嫌いだーっ、バカヤロー!
 ―――受験なんて嫌いだーっ、バカヤロー!
 ―――合格したぜコノヤローっ、よっしゃー!
 バカヤローを小声で二回、その後にうっしとガッツポーズ。溜まっていたもの、吐き出したかったもの、ぜんぶ、出し切った。
 あー、やっぱりいいなぁ。ここ。
 きっとこれからもお世話になるだろうし、今まで好き勝手叫んでた分も含めて。
 ありがとー、これからもよろしくー。
 一方的な愛を告げるのであった。